色んなカテゴリーのサッカーを見て感じる事。
それは、「楽しさ」とは何だろうという、見えそうで見えないもの。
世の中の流れも、好きな事をやりなさい。好きな事が仕事になりますよ。
となっていて、たくさんの挑戦する可能性が溢れている。
好きからもたらされる感情は「楽しさ」というキーワード。
なら、「楽しさ」とはなんぞや?という事を整理しておかないと、
サッカーの「楽しさ」を伝えるべき子ども達の「楽しさ」の受け取り方は変わってしまうかもしれない。
「楽しさ」の根本は何??
特にキッズ年代の子ども達は、感情表現が豊かなので、
楽しければ楽しい。つまんなければつまんないを
思いっきり表情や態度で表現する。
自分の思い通りにいけば楽しい。
チームが勝てば楽しい。
逆に、
自分の思い通りにいかなければつまんない。
チームが負ければつまんない。
この原理でいってしまうと、
自分が思い通りできるように上手くなれて、かつ、試合にも勝つ経験ができる事が、
サッカーの「楽しさ」を伝えれる最高の場になってしまう。
もし「楽しさ」の定義をそうしてしまえば、すごくシンプルで分かりやすいんだが、
そんな簡単に上手くなれるわけでもなく、
そんな簡単に勝ち続ける事ができるわけではない。
もちろん、子ども達が成長して大人になっていく中でも同様で、
好きな事をやってても、物事が自分の思い通りに進まない事もあるし、
勝ち続ける(結果)が出続ける事なんてそうそうない。
だとしたら、
「楽しさ」というのは、感情に振り回される事なく、
やってる意味は何か?
という根本をしっかり持たせて、価値づけしてあげないと、
「楽しもう」の解釈が、指導者と子ども達の間ですれ違ってしまうはずだ。
「楽しさ」のズレをなくす方法
指導者も子ども達もサッカーは楽しんでやった方がいい
という考え方にズレはないはずだ。
だが、
指導者は、時に怒ったり、突き離したりする事も必要で、
目線をできるだけ合わせるんだが、そこには明確なラインもあって、
ただ、一緒に仲良く、楽しいだけではいけないと思ってるはずだ。
それが、なぜか分からないと、子ども達は、
「楽しんでやろう」と言ってるのに、何でそんなに怒るんだ
という解釈になってズレが出てくる。
「楽しさ」には、うまくいかない事も、辛い事も、悩む事もつきまとう。
その試行錯誤にも「楽しさ」があるのに、
「楽しさ」を感情だけにとらわれてしまうと、苦痛に変わり、子ども達は逃げを選択しようとする。
それを引き留めるために、指導者の役割として、
時には怒ったり、突き離したりする手段を選ぶんだが、
自分にとって「楽しさ」とは何??
やってる意味は何??
という問いを与える事ができてたら、
決して感情だけにとらわれない「楽しさ」を見つける事ができるだろう。
まとめ
サッカー指導者なので、
サッカーをやって得られる「楽しさ」を伝えたい
というのが願いである事は間違いない。
それは、
サッカーが上手くなったり、試合に勝ったりする事。
だが、
極論は、「楽しさ」の見つけ方をサッカーを通して気付いてくれて、
自分の好きな事を全力で楽しむ事ができる人生にして欲しい
というのが一番の願いだ。
好きでもない、楽しくもない人生(進路選択)だけは送って欲しくない。
そのために、人生の一番のエネルギーになる
「楽しさ」の見つけ方
を指導者が教えてあげないといけないと思う。
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