答えをすぐに求めたがる。
これは、自分にもよく当てはまる事で、
何かとインターネットにすぐアクセスしてしまう。
微妙に出てきそうな漢字があれば、ひねり出してたし、英単語を思い出すのも同じ。
イメージがあるものは、深く集中したり、考えたりする事で、
意外と答えにたどり着いたりする。
けど、検索という超便利ツールがあると、時間の無駄を省いたり、
集中すること、考える事が面倒くさくなって、
スピードと手軽さをどんどん求めるようになってきた。
下手すれば、答えが自分自身にしかないもの(目標や課題など)も
検索によって探そうとしてしまう。
だからこそ、深く集中したり、考えたりする時間の大切さを改めて考えてみたい。
時代の流れに感じる矛盾
この事を考え始めると、
時代の流れに矛盾を感じる事がある。
どんどん気軽さや便利さを求めて、色んなものが開発され、
色んな企業がユーザーのために考える手間を省くサービスを提供する。
活字に触れて、想像を膨らます事よりも、
受動的に手軽に受け取る事ができる動画コンテンツが人気になってきている。
そうなると、課題を発見したり解決したりする機会はどうしても減ってしまうだろう。
大量生産の時代は終わった。
これからは、個人がフォーカスされる時代だ。
と言われてるのに、
個人が困難に直面しながら、試行錯誤して成長する機会は、
気軽さや便利さを求める事で取りあげられてきてはないだろうか??
かと言って、テクノロジーの進歩がなければ、手間ばかりかかってしまい、
物事を進めるスピードは、格段に落ちてしまう。
そう考えると、時代の流れは止められないんだが、
時代の流れにただ身を任せるのではなく、時代の流れを考慮しつつ、
どう生きていくべきかというのを考えなくてはいけない。
「問い」を持つことの重要性
自分なりの答えは、
答えが準備されてるからこそ、「問い」の重要性を再考しないといけないと思っている。
単純に便利さを受け取る者にとっては、考える機会が奪われしまうんだろうが、
便利さを上手く活用しようとする者にとっては、時間を生み出してくれる。
だから、考え方によっては、
考える機会が奪われているというより、むしろ、
考える時間が増えたという受け取り方ができる。
その時間の活用の中で、大事になるのが、「問い」を常に持っておくこと。
参考:昨今の教育の変化から感じる「考える事」の習慣化の必要性
課題を提起する、アイディアを発想する、問題を解決する
これらにすぐ答えを求めるのではなく、自分自身に「問い」を投げかけて、
深く、じっくり考える時間を作る事が必要だ。
物事に対する「問い」がなくなれば、
気軽・便利・スピーディーというメリットを受け取る事はできるだろうが、
個人がフォーカスされる時代において、
個性を失うというデメリットがある事を知っておかなくてはいけない。
まとめ
この事は、サッカーの場面を切り取っても、たくさん当てはまるケースがある。
練習で出た課題や悩みをすぐに解決してくれる手段を、
試行錯誤する事なくすぐに答えを求める。
選択肢が多くある事は、本当はいい事なんだろうが、
多いがゆえに自分自身に「問い」をもたず、頼ってばかりいては、
成長スピードにブレーキがかかってしまう。
そもそも溢れている情報は全て正しいわけじゃなく、
自分の中で、一旦整理する作業を伴わないといけない。
その整理する作業こそが、集中する時間であったり、深く考える事だと思う。
効率的ばかり求めていてはだめで、効率的に時間を生み出し、
自分自身に「問い」を持つ時間が必要だ。
要は、効率化には質があるという事。
時代の流れをうまく掴みながら、
何を、どうすべきかという「問い」を持ち続けることができる子ども達を育てていきたい。
コメントを残す