習い事としてのサッカーの幅が広がってきている。
試合に出場するためには、選手登録する事が必要で、
そのためにクラブに所属している
というのが基本。
そこから、スキルを伸ばすために、特化型のスクールがあったりする。
ドリブルスクール、ストライカースクール、GKスクール・・・。
そして、チームのメソッドを売りにしているスクールもある。
バルサ、インテル、アーセナル・・・。
クラブに所属しているが、自分に足りないものを補うためにスクールでカバーする。
この発想自体は、すごくいいと思ってるし、
自分の指導が全て正解とは思ってないので、
足りないと思われてる事に関して、
補わないといけない
という発想があっても仕方ない。
ただ、
行くことで本当に自分のプラスになってるのか?
絶対に行かないといけないのかはしっかり判断しないといけない。
確かに、身を置くことで成長する部分はあると思うし、
そこにいる指導者も、成長させたいと思ってるはずだから、
何かしら得るものはあると思う。
また、自分自身が知らない可能性に出会うかもしれない。
だが、
主体性がそこになければ意味がない。
それは、
身に付くべき何か=スキル
よりも、
主体性・自己決定力=マインド
の部分がずっと大事だと思うから。
何となくスクールに通い、スキルが身に付いても、
それはほんの一瞬の目に見える成長であって、
将来の成長に繋がるかどうかは未知数。
主体性を持ち、自己決定した上でスクールに通うなら、
目に見える成長とともに、目に見えないマインドの成長があり、
それは、将来の自分の人生のデザイン力にプラスになるはずだ。
選択肢が溢れていなければ、自分でやるしかないんだが、
選択肢が溢れているあまりに頼る事になってしまえば、
将来の自分の人生も何かに頼り続ける事になるかもしれない。
良い高校・大学・企業に入る事で安心という世の中ではなくなってきてるので、
主体性を持ち、自己決定した上で選択しているかが心配だ。
と言いながらも、子ども達自身が全ての事を分かっている訳ではない
という事も分かっている。
大人の役目として、気付いてない事を気づかせてあげる事も重要で、
そのために道筋を示してあげるために環境を与える
という発想も分からなくはない。
だが、
そこに至るまでの過程が、
ただ◯◯に行きなさいなのか、
しっかり会話した上で、子ども達自身が自己決定したのかでは、
同じ環境を与える事にも大きな差があるはずだ。
ありふれた選択肢や情報を取捨選択し、自己決定できる能力は、
サッカーにおいて、
判断し、実行(プレー)する事と似ている。
与えられ、頼る事に慣れてしまうようなマインドであれば、
スキルを身に付けても、そのスキルを活かすために
判断し、実行(プレー)する事をピッチの上ではできないと思っている。
逆に言うと、
ピッチの上で、判断や実行(プレー)を奪っては、自己決定できなく、
頼る事に慣れたマインドになってしまう。
ピッチ内とピッチ外は繋がっていると言うが、
それは、考え方(マインド)の部分だと思う。
主体性を持ち自己決定できれば、
自然とピッチ内とピッチ外は繋がるはずだ。
遠征の際気をつけるべき事と得られる効果~ピッチ外とピッチ内は繋がっている~
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