筑波大学蹴球部の監督、現役学生の子、そして東京スクールのスタッフで会食をした。
いくつも勉強になる種が話の中に転がってたんで、
頭の中の整理とともに、このブログに書き残しておこうと思う。
監督は、自分が学生で1年生の時の4年生。
小井土さんという方で、エスパルス・ガンバなどのコーチを経て、
現在蹴球部の監督をされている。
小井土さんの話の中で、一番刺さったのは、
「言語化」できる能力の話。
「言語化」と言っても、単純に技術・戦術を切り取って、
伝える事ができるかどうかではないという事。
例えば、技術的な話で言うと、
◯◯だから、こう止めて◯◯を意識してボールを蹴る
であったり、
戦術的な話で言うと、
◯◯な状況の時は◯◯だから、◯◯を選択しよう
というような感じ。
技術も戦術も細分化し、言語に落とし込む事が
「言語化」する際に自分自身が気を使ってた部分だったんだが、
もっともっと深い所に「言語化」の意味があるように感じられた。
大前提として、「言語化」するためには、知識がないといけないという事。
「言語化」できる事の意味は、共通認識を持つ事など色々あると思うが、
参考:脳をフル活用する事のすすめ~「言語化」と「論理的思考」~
根本は、どれだけ相手に伝えれるか?
という事にある。
相手を納得させるには、正しい知識と根拠がないといけない。
知識の引き出しが多いほど、点と点の事実を繋ぎ合わせて線にできるわけで、
そもそもの点の数が少なければ、根拠としての線は繋いだところで真っ直ぐにはならない。
「もっと勉強した方がいい。知らない事がまだまだあるはず」
と言ってくれた言葉には、すごく重みがあった。
また、その重みを感じられたのは、
「指導者としての信念」の話をしてもらったからというのもある。
「どんどん知らない事を勉強し、自分なりの答えを探していくと、指導者としての信念が出来上がってくる」
と言われてた。
リトリートしてカウンターでも、ポゼッション率を高めるでもいいんだが、
こういうサッカーがしたいという信念にブレがあるといけないとも言われてた。
この信念なるものが、言葉にさらに重みを与え、
相手に伝わる言語になっていくんだろう。
だから、さらっと分かりやすい言語で伝える事が「言語化」ではなくて、
自分の信念まで引っくるめて相手(選手)と向き合う事が
「言語化」(して相手に伝える事)の本質なんだと思う。
自分の解釈はこうなんだが、もっと深いものがあるかもしれない。
とりあえず、「言語化」について感じた事をまとめてみたが、
その他にもたくさんのためになる話がある。
それは、次回のお楽しみという事で。
一緒に来てた学生の子も素晴らしい感性をもっていた。
この事についても追って書こうと思う。
日常にない刺激は、たくさんの気づきを与えてくれる。
小井土さんが言った勉強しろの意味には、
目の前の事が一番大事だが、
日常から脱却する勇気を持てという事も含まれてると思う。
サッカーは答えがないから面白いんだが、
自分なりの感性は磨き続けないといけないと思ったところだ。
「言語化」する事の奥深さを学べたきがする。
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