「献身的に守備ができる」
「献身的に攻撃参加できる」
「献身的にチームのために頑張る」
「献身的」というワードが好きだし、指導者としては、「献身的」な選手がいると助かる。
というか、信頼を預ける事ができる。
チーム内の個々の子ども達には色があっていい。
むしろ、色がある方が面白いサッカーができるし、
個性が輝いてるほど、子ども達もいい表情をする事ができる。
だが、
この個性を間違って解釈し、「献身性」を忘れる子もいる。
ドリブルが得意だから、ボールを持った時しか輝けない。
好きな事しかやれない選手は、「献身的」な選手にはなれない。

「献身的」という言葉の捉え方
「献身的」と言うと、
がむしゃら、無条件に頑張る、走りきれる、闘えるなどのワードがくっつきそうだが、
ただ一生懸命であれば「献身的」であるとは言えないと思っている。
確かに一生懸命だが、よくよく見ると、そのプレー範囲は、
自分が反応できるくらいの狭いテリトリーという選手も少なくない。
これは、考える力、感じる力と結び付く。
「献身的」であるという事は、
今自分が何をすべきかを考える事ができたり、
ピンチやチャンスを感じる力を持っていたり、
その上で、動く(プレー)が伴わないといけない。
範囲の話ではないかもしれないが、「献身的」である事は、
プレーのテリトリーが広い事とも結び付くと思う。
「献身的」な選手を育てるには
「献身的」な選手を育てたいと思った時、
まず大事にしたいのは、
自分の限界を決めない心を育ててあげる事。
「献身的」であれば、プレー範囲は広がり、当然運動量は増える。
単純に、きついからプレーを辞めてしまう子は山ほどいるし、
自分は、これくらいしか動けないと蓋をしてしまってる子も多いように感じる。
もうひと頑張りできれば
という超える気持ちを持ち続ける事が、
シンプルに一番大事だ。
この気持ちが育ってくると、自分に自信がつくようになり、
欲が出てくる。
もっと上手くなるためには?
もっとチームに貢献するには?
そうなる事で、考える力も、感じる力も自ずと身についていくだろう。
それは、欲がある事で、吸収力が高まるからだと思う。
頭でっかちに、考える事、感じる事を出発点にしてしまったら、
もしかすると、「献身的」にはなれないのかもしれない。
まとめ
「献身的」な選手が増えると
チームに活気が生まれてくる。
日常の環境が成長するためには、1番大切で、
その日常の素晴らしい環境を、自分達で作り上げる事ができたら、
個もチームもより一層伸びてくるだろう。
これは、チームスポーツの良いところだ。
個人の頑張りが、周りに影響を与え、またその個人に還ってくる。
また、個人₊個人の足し算がチーム力ではないところも面白い。
個人+個人の足し算なんだろうが、
見えない力というのがチームには存在していて、
その見えない力の1つが「献身的」である事だったりする。
いろんなところで活躍できる「献身的」な姿勢。
この姿勢を全ての子ども達が持てるようになれば、
予想しない個とチームの化学変化が起こるかもしれない。
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