指導するという言葉を調べてみると、
ある目的・方向に向かって教え導くこと。
参考:デジタル大辞泉
と書いてある。
この意味の解釈で重要なのが、
指導する事は、導く事であって、
決して、
指導する事=指導者の思い通りにする事
ではないという事。
自分の指導を振り返っても、
難しいのが、指導しているつもりが、
気付けば、自分の思い通りに子ども達をコントロールしている状態になる事。
うまく指導できたという感覚になっていても、
実は、子ども達の主体性を奪っている時がある。
サッカーは、状況が常に変わるスポーツで、ある意味、
正解がないスポーツ
と言える。
同じような場面でも、ある時は正解で、
ある時は、もっといい選択肢があるかもしれない。
そのようなスポーツなので、大切になるのが、
自分で判断する力
この力を育てるには、いかに主体性を持ってプレーする事ができるかを
指導の中で意識しないといけない。

主体性を失う事のリスク
主体性を持ってプレーさせるのに大切と思うのが、
指導する事が、上からの命令であってはいけない事。
ついつい、子ども相手だから簡単にコントロールするために、
課題に対して、トップダウンで解決しようとしがちになるが、
これが大きな落とし穴。
命令すると命令に従うのが良しとなり、どんどん思考力や主体性は失われていく。
そうなると、命令やルールがないと判断できなくなり、
臨機応変の判断ができなくなってしまう。
つまり、状況が常に変わるスポーツの中で、
1つ1つ判断を指導者に委ねるようになってしまい、
判断する事も決断する事もできなくなってしまうという事は、
成長する事において、大きな妨げになるという事だ。
また、
判断できなくなると、プレーに迷いが出てしまい、
積極性は失われ、チャレンジする事を恐れるようになってしまう。
主体性を育むための指導者の姿勢
プレーが途切れる度に、指導者の顔を伺うようになったら、
それは、指導者の思い通りに子ども達をコントロールしている事のサイン。
そうならないようにするには、
目的となるゴールを示してあげて、後は我慢強く、
子ども達がどうゴールまでのルートを登りきるかを見守る姿勢が必要だろう。
だが、指導する事の難しさは、ここにあって、
そのルートを最短で登りきる子もいれば、
遠回りしてルートの中で、右往左往する子もいる。
そうなった時、ついついルートまで示してしまいがちになる。
ルートを示すという事は、もうその時点で、
子ども達をコントロールしている事と同じ。
「こういうルートで登りなさい」
と言ってしまう事を繰り返すと、ルートに従う事が目的となってしまい、
登りきるための思考力や判断力は失われてしまう。
子ども達は、目的にたどり着くために、試行錯誤する。
それが、チャレンジであって、
チャレンジには、失敗が伴う事もある。
失敗が成長する上で大切なのは、
失敗する事で、そのルートじゃ駄目だと気付き、
別のルートを見つけ、目的に少しずつ近づいていくからだ。
人から切り開かれたルートより、自ら切り開いたルートは、
きっとその子にとって自信となるだろう。
子ども達に主体性を身に付けさせるには、
目的を示し、我慢強く見守る姿勢が必要と思う。
まとめ
ここまで偉そうに書かせてもらったが、
これは、自分の指導に対する反省があるから。
子ども達の指導をする中で、最近、
子ども達に任せる
という姿勢が、意外と積極性や主体性を生み、目的まで速くたどり着く事を感じている。
コントロールしようとすればしようとするほど、
積極性も主体性も失われ、実は、それが足止めになって、
目的にたどり着くスピードを遅らせてるんじゃないかと感じているところだ。
勘違いしがちになるのは、子ども達が純粋なので、
自分の思うようにコントロールした方が楽になると考えてしまう事。
確かに、コントロールした方がスムーズにいく事もあるが、
その結果は、
ゲームでは判断できない子を育ててしまう事になり、
コントロールし続けないといけなくなってしまう。
主体性が失われていく事は、
子ども達の成長において大きな妨げだ。
最後に、自分への反省を込めて、
指導者は、子ども達の可能性を信じ、成長を見守れる指導を目指すべきだと思う。
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