土・日の練習試合の場合、1日3試合くらいは当たり前。
当然、3試合目となると体力的にきつくなるし、プレーの質も低下してしまう。
試合の合間の過ごし方は、基本的には子ども達に任せている。
子どもなんで、じっとしておく事はなく、それぞれがボールを使って遊んでいるんだが、
その遊びを観察してると、面白い発見がある。
ちなみに、この試合の合間の遊びは、子ども達にとって貴重な時間と思っていて、
特別にゲームの中で修正したいと思った事がない限りは、
自由を与えている。
管理される事に慣れている子ども達にとって、
自由を与えられた時に、自由な発想で遊ぶ時間があるからこそ、
長い1日の中で、メリハリをつけれるようになると思っている。

「遊び」の中に見えるもの
遊ぶ方法は、様々で、
ボール回しをやったり、サッカーテニスやったり、壁にボールを蹴ったり、
色々あるんだが、
遊びにも真剣になる子もいれば、
適当にボールと戯れてるだけの子もいる。
遊びにも目的を感じれる子は、
やはり、ゲームの時も目的を持ってプレーできる傾向にある。
遊ぶ事にも主体性を持って、自由を楽しむ事ができるバイタリティーなんだろうか。
一生懸命だったり、目的を持つ事は、
こんな何気ない時間からも感じ取る事ができる。
参考:自分の中の普通(常識)を変える~情熱に従い行動しよう!!~
子ども達の素の部分を感じるためには、
自由な時間をたまに観察してみるのも面白い。
「遊び」の必要性
サッカーに遊びが必要という話はよく聞くが、
それは、自由な発想を感化する事に繋がる
という事だろう。
それはそれで間違いない事と思うが、
自由な時間の遊びこそ、子ども達の主体性が育まれる事もまた1つ。
これらは、切り離されたものではなく、
主体的であるからこそ、自由な発想が感化されると考えた方がよい。
強くなるために長い1日の拘束時間の中で、
空き時間までしっかり管理しながらサッカー漬けにしているチームをよく見る。
その子達を観察すると、
そこに主体性はなく、目を見ても輝きがやい気がするし、
肝心なゲームの時に力を発揮する事ができない現象が起こっている。
それを、
育成だからゲームの結果なんて関係ない
と捉え、結果を気にしてないのはよしとしても、
パフォーマンスをゲームで発揮する事なく、結果が負けに繋がるのには違和感を感じる。
遊んでる時の子ども達は、メンタル的にも解放感を感じてて、
リラックスしている状態。
この時間を有効に作ってあげる事が、
ゲーム中のメンタル的な余裕にも繋がっているように思う。
まとめ
子ども達を管理する事は簡単だ。
そして、しっかり管理されてる方が、見た目も強そうに見えてしまう。
だが、
管理する・管理されるという構図は、はみ出る事をよしとしないので、
子ども達は、発想を広げる事より、発想を制限するようになってしまう。
強いチーム・たくましい個は、
状況が厳しかったりする時にこそ違いを発揮できる。
サッカーの時間だけに限らず、
なるべく遊ぶ時間を作り出し、主体性を持たせてあげる事が必要だ。
サッカーと遊びの関係性の重要さがよく語られてるが、
そんな環境を与える事をしなければいけないという
子ども達を取り巻く大人に向けての警告なのではないかとも感じる。
遊びだけでは身に付かない事も当然ある。
バランスよく個育てをしていく事が必要だ。
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