うちの会社では、サッカークラブの他にも色んな事業部があって、
日中は、サッカー以外の部分で働かせてもらってる。
その中の活動の1つに、
オリパラ事業(スポーツ庁)というものがある。
早稲田大学、熊本県教育委員会と連携し、
オリンピアンの方を呼び、講話・実技指導をしてもらったり、
子どもの体力向上のために、小学校に行き
運動指導をさせてもらうんだが、
そこで、
「教育の変化」
というものを感じた。

体育の授業における変化
この事業では、
全て(45分間)授業を受け持つ事もあれば、
先生方のサポート役で、個々に必要に応じてアドバイスをする事もある。
サポート役に入った時、
先生から児童への問いかけが多いという事に気付いた。
自分達の時代は、詰め込み教育。
体育の授業でさえ、もっぱら同じ動作の繰返し。
コツを教えるよりも、体で覚えろだったんだろうか??
どうやったらできる??
なぜできない??
を理解させるような、「考える力」が求められている。
試験問題の変化
少し前だが、
高校入試に向けて家庭教師をやっていた事もあった。
勉強も、同じく詰め込み教育。
高校・大学入試はある程度パターン化され、
勉強の量と成績はある程度比例していたように感じる。
公式を覚えておくのは当たり前だが、問題はパターン化され、
答えを導き出すための方法も1つ。
出題のニュアンスは違っても、そのパターンに気づきさえすれば、
答えにたどり着く。
だが、教えていて感じた。
これ、パターンだけじゃ解けないって。。。
入試問題を解いてみても、一筋縄じゃいかない。
明らかに自分達の時代とは変わっていて、
単純に答えを出す問題よりも、その場で答えを導き出す問題が多い。
パターン化せずに、もってる知識をフル動員させながら答えを導く。
「考える力」を育てるためだろう。
まとめ
持論として、運動も勉強も習得のコツみたいなものは同じだと思っている。
自分達の時代は気付かなかったものが、指導者になった事で、
別の角度を持って見えてきた。
運動も勉強も、単純な反復によるものから、
質を高めて(考える作業をしながら)量を確保していかなければいけなくなっていると感じる。
ますます、この動きは加速するだろう。
「考える力」がより問われる時代になってくる。
スポーツの世界では、根性論・精神論の時代から、
科学が切り離せないものとなっている。
データの活用による戦術の分析。
それに伴う、個々への柔軟性の要求。
参考:個の成長に必要な3つのキーワード~「自信」「柔軟さ」「謙虚さ」~
科学を活用するには「考える事」が必要だ。
話は教育へ戻るが、
そう考えると学校教育は、子ども達にとって大きな役割を担っている。
勉強する事を無視していては、良いサッカー選手にはなれない。
なれるかもしれないが、引退後社会に取り残されてしまう。。。
昨今、社会体育の重要性が叫ばれてきた。
そこに関わる指導者の質は、間違いなく問われる。
サッカーの指導者として、サッカーを教える事以外にやるべき事があると思う今日この頃。
自分自身がアンテナを張り、考える習慣をつけなければ、
子ども達を導く事はできない。
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