子ども達は、毎回練習にしろ、試合にしろコップを持ってきている。
指導者は、このコップを満たしてあげる事が必要だ。
これは、ある指導者の方から聞いた話である。

この指導者の方。有名な街クラブの監督であり、プロサッカー選手を何人も育てている。
ある日の練習試合。
子ども達は、来たものからすぐにグラウンド作りを始める。
また、ゲーム中。
我がチームとは実力が差があるにも関わらず、誰一人一切手を抜く事はない。
ピッチの上では、
「まだ目標まで足りないぞ!!」
「しっかり拘ってやり抜こうぜ!!」
そんな声が飛び交う。
また、ある場面。
我がチームの子がファールを犯した。
普通の小学生なら、何も言わないか、文句でも言うような状況。
その子は、
「それぐらいで来てくれ。その方が練習になる」
と言った。
この裏に隠れているものは何だろう?と思い、
その指導者の方に話をした時に、冒頭の話を教えていただいた。
「子ども達のコップ」
それは、
「自主性」という事なんだろう。
自分は、そう解釈した。
指導者は、そのコップを満たすために「情熱」という水を子ども達に注ぐ。
そのコップを5割満たしたとする。
次の日子ども達は、また同じコップを持ってくる。
そのコップを9割満たしたとする。
そろそろもうひとサイズ大きなコップの準備が必要だが、
子ども達は、また同じコップを持ってくる。
たとえ、それが9割9分満たされようが、次の日も同じコップ。
10割満たされ、溢れ出てはじめて、大きなコップにかわる。
つまり、
毎日持ってくるコップを満たすことができなければ成長はないという事だ。
「情熱」という水を注いでも、コップの下が抜けていれば、コップが満たされる事はない。
「自主性」が芽生えて初めて「情熱」を受け取る事ができる。
コップを満たすためには、
指導者、子ども達の両者の努力が必要だ。
本来なら、コップが大きくなるにつれて、水の量は必要になってくるが、、、
おそらく、コップが大きくなるにつれて指導者は、
「情熱」の他に様々なものを加えていかなければいけないのだろう。
それを、これから先の指導の中でじっくり探していかなければいけない。
この話には、大きな目標を掲げてなし得る事は大事なんだが、
それは、結局コップを満たす作業の繰り返しのような毎日の積み重ねでしかない。
というもう一つの学びがある。
可能性を感じる子は、そのコップがどんどん大きくなって、
どこまで大きくなるんだ??
と予想つかないとこまで大きくなる。
途中からは、それが興味に変わり、応援したくなる選手に変わる。
今日の練習で振り切れて頑張る子に出会った。
ふと考えさせられる事があり、この話を思い出した。
「学ぶ事」って本だったり、ネットだったり、色んなとこに溢れてるが、
一番身近な子ども達から教えられる事も多い。
その学びを拾って、また子ども達に還元してあげる事が必要だ。
日々の成長を子ども達とともに。
「子ども達と同じ視線」
ってそんな姿勢にあるんじゃないかと思う。
指導者もコツコツ成長していかなければいけない。
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