速くはできるが、遅くが苦手。
少年サッカーの特徴の一つだと思う。
特にドリブルの使い分けができない子が多い。
スペインでは、ドリブルという表現はなく、
コンドゥクシオン=運ぶ
レガテ=抜く
が日本で認識されているドリブルを表現する言葉だという。

さらに、この2つの言葉は、
・目の前に人がいない状況
・目の前に人がいる状況
で使い分けられるべきと認識されている。
サッカーを戦術的に捉えようとするスペインならではの考え方だと思う。
ドリブル=足元の技術と捉える
認識不足であればごめんなさい。。。
少年サッカー現場において、ドリブルを趣向するチームは、この考えがベースになっているのではないかと感じる。
ドリル練習を繰り返し、ひたすら1対1を繰り返し・・・。

ドリル練習を繰り返すことで、ボールは足元から離れづらくなる。
ある程度スピードに乗った状態でも自在にボールを操れるようになる。
1対1を繰り返すことで、1対1の場面では、なかなかボールが取られなくなるようになる。
観ている者は、それを華麗と思い、個の能力が高いと捉える。
育成段階において、「技術の獲得」は、大事なファクターの1つだ。
だから、ドリル練習も、1対1も必要。否定する事はない。
自主練するなら、有用な手段だと思う。
特定の事を繰り返すと、それ自体は強化されるが、同時に、柔軟さを失っていっていることを知っておかなければいけない。
つまり、、、
いつ?どこで?どういうドリブルをするのか?
という思考の柔軟さ、戦術的視点がなくなってしまう。
ドリブルに戦術的視点を
そう考えると、スペインで表現される
コンドゥクシオンとレガテという考え方がしっくりきてしまう。
速くはできるが、遅くは苦手を解決するために必要な考え方になると思う。
少年サッカーと言えど、戦術抜きにサッカーは語れない。
育成年代と言えど、戦術的視点は子ども達の将来にとって必要。
状況に応じてドリブルを使い分けできる事が必要だ。
ドリブルは、相手ゴールを割るための1つの手段として捉えるべきだろう。
ドリブルする事自体が目的になってはいけない。
※参考記事
まとめ
子ども達が、ドリブルの大切さを理解するには、
ドリブルを手段の1つという事を伝えないといけない。
また、ドリブルミスに対して、
なぜそのドリブルがいけなかったのか?
他の選択肢はなかったのか?
を考えさせる機会を与えないといけない。
子ども達も、単にドリブルだけを切り取って成功・失敗に一喜一憂(自己満足)する事なく、
味方・敵との関りの中でサッカーが成立しているのを知っておかなくてはいけない。
だとしたら、戦術論は必ず必要だ。

良い選手とは?の定義を考えてみよう。
また、それを考える際には、一つの事(例えばドリブルが上手い)に特化することなく、
色んな角度からサッカーを捉え、定義づける事をおすすめする。
その方が、きっとその子の可能性は広がるだろう。
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