アジアパラ競技大会見事銀メダル獲得!!
インドネシアのジャカルタで開催されていた「アジアパラ競技大会2018」。
走り高跳びで、鈴木徹選手が銀メダルを獲得しました。
鈴木選手は、2000年シドニーパラリンピックから、2016年リオデジャネイロパラリンピックまで5大会連続出場。
38歳になった今も現役で競技を続けています。
2020年東京パラリンピックの頃は、40歳。
彼は、それでも自分に限界を作らず、
東京大会まで現役を続け、6大会連続出場と、40歳で2メートル以上跳ぶ。
という目標を持って今もなお努力を続けています。
なぜパラ競技に??ハンドボールのトップからパラ競技のトップへ
鈴木選手とコーチは、大学時代の同級生なんだけど、歳は鈴木選手の方が1つ上。
実は、鈴木選手。
コーチが入学する1年前に、ハンドボールのスポーツ推薦で入学が決まってました。
当時の筑波大学ハンドボール部は、日本一を争うようなチーム。
そこへ推薦入学という事は、ハンドボールをやっていたら、プロになっていたのかもしれません。
しかし、高校卒業の1週間前。
朝から晩までアルバイトをして、疲れたまま友人達とドライブ。
そこで、事故が起きます。
運転していた鈴木選手は、居眠りをし、ガードレールに激突。
友人達は無事だったものの、鈴木選手は、右足を失ってしまいました。
大学への入学は、休学という形で1年間先送り。
ハンドボール部員として入学するはずが、色んな方の支えもあり、
1年間のリハビリを経て、
「陸上ならまだ可能性はある」
とパラ陸上へと方向転換します。
そして、陸上部に入った鈴木選手。
ただひたすら、パラリンピックに出場するという目標のもと、努力を続けると、すぐに結果が出ます。
当時のパラリンピック参加標準記録は、173センチ。
それを、3ヶ月で185センチを越える記録を出し、一気にパラ陸上のトップ選手に成長します。
数年後の2006年には、アジア人初の2メートル越えを記録しました。
長い間トップで居続けられる理由
それから、現在まで12年。
競技を初めてから18年。
今回銀メダルを獲得したように、今もなおトップで居続けている鈴木選手。
彼は、その理由を、こう語っています。
探究心や冒険心を持って、常に新しい事にチャレンジする事。同じやり方に固執せず、遊び心を持って実験するように色々な事を試した結果として、今の僕がある。
コーチも、サッカーをずっとしてたので、分かりますが、
プレーをしていると好不調の波は必ずあります。
そして不調の時、好調の時の感覚を取り戻そうと昔のイメージに近づけようとします。
イメージを昔に戻すという事は、成長・進化じゃなく、良くて過去を維持する事ですね。
また、好調の時は、現状を変えたくありません。
その時の感覚を大切にしようと思います。
けど、鈴木選手は、常にチャレンジを繰り返しています。
つまり、前へ進み続けているという事です。
そこには、失敗を恐れない強い心と、目標に向かう強い心が存在しています。
彼と昨年、一緒に仕事をさせてもらいましたが、
ちょっとした雑談の中からも、強い意志を感じとる事ができました。
大きな挫折を経験し、それを乗り越え、新たな目標へと進み続ける鈴木選手。
きっと、2020年東京で活躍してくれるでしょう。
最後に、
最初から「できない」と諦めるのではなく、やってみることで目に見える成果が出ることを、たくさんの子供たちに知ってもらいたい。
と語っている鈴木選手。
挫折を乗り越えた人が語るからこそ、言葉に重みを感じますね。
何が起ころうとも、諦めずチャレンジし続ければ道は開けます!!
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